ハロー・オール・フォークス!
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オレこの何年か、自分の心の間違い探しばかりしていた。まるで数奇な人生の答え合わせをしてるかの様にも思えて「馬鹿ばかしい」と、考えるのを止めては、また考えてた。いとも簡単に他人を傷つけてしまう言葉や態度の事、後で遅れて、序所に心が折れて行く自分。性善説、性悪説、何が正解、何が悪?必要で無い物と、必要な悪。(余談だが以前このブログでも書いたが、吉田修一氏の小説、"悪人"は強烈な存在感を得た。)コミュニケイション・・考えてみたらNahtの1stアルバム「Narrow Ways」を作った時だって自分の歌詞は憤りや人々の関係性の事ばかり・・表現視点の乏しい自分の愚かさに少し震えたわ。(10年経っても進化が無い・・)わざと逆を演じた時期もあった。今迄の自分を脱ぎ捨てたら楽になんのかな?道化の格好でこれまで選んで来なかった居場所を訪ねてみた事もあった。

もし、一つの言動に、「中心」(伝えたい本心)、「右側」(もっと呵責のある優しさ、或るいは過去)、「左側」(真逆の悪意をもった意味、もしくは未来)、と3種類があるとしたなら、人にかける言葉一つとってもとても難しい事。高速道路をドライブするかの様に脈絡にバランスを持ってその「中心」で流暢に話をし、振る舞っているつもりでも、相手や場の空気によっては「右側」に取られる事もあれば、その逆もある。だから思いやりをもったデリケートな言葉選びが必要だし、個人の説明責任もあるんだと思ってる。(投げた言葉に「言霊」としての軌道をゆだね、呑気な清算をするのは如何なものか?)困難だけど、どんな態度や言葉でも、そこから伸びる糸は一生自分が持ち続けなきゃならんという事。その糸を手放してしまえば、もれなく終わり、もう一方の手を添えしっかり両手に持ち直せたなら、またそこから始まる何かがあるんだろう・・その心の軌道こそ表現するに値する事なんだと思う。

過去に掛け違ったままのボタンについては結局の所、オレにはまだ答えが出ていない。ただ「恐らく自分が悪いのだ」と決めつける癖もついた。正しくは無いが、その割り切り方の方が気持ちが楽になった・・(決して穿った物の見方をしている訳ではない事を予め断っておくが)これまで自分がやってきた活動については我ながらよくやって来た、と自分を褒めたい気分の時もある。と同時に自分の未熟さ故、過去に於いて自分達は何か大きな渦巻きのスケープ・ゴートにされたなぁ・・という想いも払拭出来ない。心の片隅にどす黒く居座る困惑と諦め。いくら全身で正しく音楽と向き合ってたとしても、世の潮流が姿を変え(特にエキセントリックなカウンター・カルチャーに於いてはより一層)先走る者は何かしらのターゲットにされる事を経験上熟知してきたつもりだが、そうでは無かった。時に悪役を買ってでも、芯を貫いている人間には、エールと共にある種の共感も抱いてきたし、まして一つ山を動かすのはそう簡単な事じゃ無いから。(滅私奉公に近い)自己犠牲のスピリットとタフネス、始めからこれが備わって無いと、動かぬ山を動かす事は到底無理。で、その一部始終を心の内ポケットにそっと忍ばして物を言わぬ姿が格好良いんだと信じてきた。だが、正確には世に伝わらない。当事者の馳せた思いの大きさは誰も気に留めない。言葉の誤認、無意味な心の殺生、たいがいは到着予定地とは違う場所でのカタルシスを得てそれぞれの憤りを終わらせるんだ。でも、それで良いんだよね?それとも全てが身の丈知らずの背伸びだったのだろうか?今日、少し自分の存在が分らなくなってる。

誰の意見を乞いたい訳でも、まして、こういう考え方に(これを読んでくれている)皆の共感を求めてる訳では無いよ。
ただ一つ、自分の心の間違い探しに少しだけ疲れただけ。暫くはオレの横に何の定規も置かないで欲しい。

行く末は未来だけが決める。

詮索不要で。読んでくれてありがと。もう寝るわ。

今日の雨で桜も散ったね・・

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